摂津市トイレつまり

もうどうしても横になっていることができないので、痛さに身をねじ曲げたまま台所のなかを歩きながら、彼はうんうん呻いていた。そしてその痛みについていろいろと思い耽りはじめた。彼はこの摂津市トイレつまりが心配でならなかったが、それもさらさら無理はなかった。こうした発作はもうよほど以前から彼にはあったのだが、しかしごく希にしかおこらず、一年に一度か二年に一度程度であった。この痛みが肝臓からくることは彼も知っていた。おこりはじめには、胸のある一点、心窩の下かあるいはも少しうえの辺に、まだ鈍く大して強くはないが、それでいて妙に気持ちにさわる圧迫感が、わだかまるような感じである。それが時によると十時間もぶっとおしに次第次第に強まって行って、やがての果てにはその痛みが極点に達し、堪えがたいまでに募った圧迫感のため、病人はもう死ぬのじゃないかとまで考えだすほどであった。一年ほど前におこった最後の発作の時などは、やはり十時間もつづいた挙句にやっと痛みが去ったのち、彼は急にぐったりと弱ってしまって、寝床に横になったまま手もろくに動かせない始末だった。で医者はまる一日というもの、まるで乳呑児のように、薄めたお茶を茶匙に二三杯と、肉汁にひたしたぱんの小切れをしか与えてくれなかった。この痛みはいろいろな拍子からおこるのだったが、いつもきまって前もって気持ちが掻き乱されている場合に限られていた。またその経過も妙だった。時には普通の罨法をするだけで、おこりはじめの半時ぐらいのうちに、一時にさっと引いて行ってしまった。